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2015年3月12日 (木)

HAN日本思想史学宣言

この春「HAN日本思想史学」というプロジェクトを立ち上げます。

 僕が思想史という学問を志したとき、「思想史ならありとあらゆる事象があつかえる」から面白いと思って始めました。人間のあらゆる営みに思想はあるはずです。だから「偉い人の思想はやらない」ことも決めました。理由は単に偉い人が嫌いだから。しかし残念ながら実際の「日本思想史」という学問の主流は、「ありとあらゆる事象」を扱うものではありませんでした。そのことに、僕はずうっと不満を抱き続けてきました。

 日本思想史という学問は、いまや存亡の危機にあります。その理由は、日本思想史自身の問題と、それを取り巻く社会状況の両方にあります。

 日本思想史自身の問題とは、ひと言で言えば「おもしろくない」ということです。なぜおもしろくないのか、それを示す象徴的な経験があります。僕の教え子が某国立大学の大学院へ進み、指導教授に修論のテーマについて相談に行ったところ、「教科書に載っているような人をやりなさい」というアドバイスを受けたそうです。当初は、就職に有利だからメジャーなものをやれということなのだろうと思いました。しかし、あとでそれだけではないということに気づきました。日本思想史とは「倫理」の教科書に載っているような人の思想を扱う学問であると自己規定をすることによって、自分たちの学問を守っているのだと。つまり、日本思想史という学問は、ある種の鎖国状態を続けることによって、自分たちの孤塁を守ってきたのです。だから、决して自分たちの砦の外へ出て戦おうとはしない。そんな研究が、社会にインパクトを与えることなどないのは当然です。

 社会状況の方は、もともと日本思想史を専門とする研究者は少ないので、全国の国立大学にある専任教員のポストを押さえておけば、とりあえずやってこれました。しかし、地方国立大の文系潰しが始まった今、もはやそれも難しくなるでしょう。それで日本思想史の大学教員が絶滅するだけならまだいい。もっと恐ろしいのは、そこへ「日本思想」のポストなら作ってあげようと言われることです。もともとたいしてポリシーのない、ただ偉い人の書いたものを読むだけの研究をしている人は、抵抗なくそれに乗ってしまうでしょう。そうなったら、日本思想史という学問は、消滅するよりもさらに悪いものになってしまいます。今、時代はいつそういうことになってもおかしくない状況になりつつあります。

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