郵便配達夫は何度もベルを鳴らす
二、三日前の新聞に、昨年小学生と中学生を対象に行われた学力調査の結果、正答率の高かった学校では「書く習慣」や「読む習慣」を身につけさせる授業をしていたという分析結果が出て、文部科学省は「書く力や読解力は国語だけでなく、他の教科でも重要」とみている、という記事が載っていました。
前から「文部省の役人って、バカ?」と思ってはいたけれど、そんなこと今さら言われなく立って、現場に立っている教師なら誰でもわかっていることです。それを十年前の国語科の指導要領改訂で「伝えあう力」などというわけのわからないスローガンを打ち出して、「読み・書き」よりも「話す・聞く」を優先させたのは誰でしたっけ?
僕は長いこと国語科教員をめざす学生を教えていますが、彼らには「お題目はともかく、国語は読み・書きがまず基本だから」とずっと教えてきました。日本語は話し言葉と書き言葉の二層構造をもった言語です。たとえば、「母ちゃん、腹減った」とか「ねぇちゃん、茶、しばけへん?」(関西弁なのに他意はないです)といった内容であれば、話し言葉だけで意思を通じ合うことができます。けれど、すこしややこしいこと、論理的なことや概念的なことになると、書き言葉を介さずに意思を伝えることは難しいでしょう。話したり聞いたりするときも、実は書き言葉が介在しているからです。たとえば「しかいがわるい」という言葉を聞いた人は、頭の中で「司会?視界?歯科医?」といくつかの候補の中から、今の話題や前後の文脈から適当な文字に置き換えることで、意味を理解しています。ちょうどワープロで文章を書くときに、「しかい」と打ち込んで変換キーを押すといくつもの候補が出てくるので、その中から選んで確定キーを押すのと同じ作業を、瞬時の内に頭の中で行っているわけです。それは、人の話を聞くときばかりではなく、話をするときにも同じことをやっています。ですから、読み・書きの能力を鍛えない限り、話したり聞いたりする能力もアップしないのです。そんなこと、国語を教えたことがある者にとっては常識ですが、現場を知らない霞ヶ関の役人には、わからないんでしょうね。
藤原正彦という人は、「品格」だなんて持ち出して、決して好きではありませんが、「小学校から英語を教えるなんて馬鹿げている。英語にコンプレックスを持った大人が、自分が英語が出来ないのは小さいときに始めなかったせいだと思ってるからだろう」と言っているのには大賛成です。日本人が6年間やっても英語がしゃべれないのは、教育のせいではなくて、単に英語をしゃべらなくても生活できるからにすぎないでしょう。宮里藍ちゃんの英語、福原愛ちゃんの中国語、中田英寿さんのイタリア語をみればわかります。彼らは早熟のアスリートですから、学校の勉強にそれほど熱心だったとは思えませんが、皆流ちょうな外国語を話します。英語の専門家でさえも、小学校からやってもあまり意味はないと言っているのに、いったい誰が「小学校で英語を」って言ってるんでしょう。
昨日、大学で「神道概論」のレポートを100本くらい受け取って来ました。今日も朝から郵便屋さんが、何度も速達を持ってわが家を訪れました。「なんで、今日はこの家にこんなに速達が来るんだ」と思っているかな。あ、でも「レポート在中」とか書いてあるのもあるから、わかってるね。でもって、200本くらいのレポートを一気読みしなきゃならないので、夕方買い物に出かけて、食料やらお茶うけやら買い込んできました。お茶でも飲みながらやらないと、とても集中力がもたないですから。数日間は引き籠もって採点三昧です。
頼むから参考文献の上げられてないレポート書くのやめてくれっ!キレそうになるから。
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