2012年1月20日 (金)
2012年1月 2日 (月)
燃燈所患
みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年は、論集は出るわ、震災に遭うわで、実に起伏に富んだ年でした。
地震と津波の被害を目の当たりにして衝撃は大きかったですが、どちらも想定以上の大きさだったということで、「諦め」とまでは言わないけれど、受け入れざるを得ない部分はあると思います。自然の猛威の前に人間はいかに無力であるかということを、改めて思い知らされた気がします。
しかし地震がきっかけとなって引き起こされた原発事故は、それとは異なります。もう何十年も前から、ひとたび事故が起きればこういう結果になることが指摘されていたにもかかわらず、すべては「経済」という錦の御旗のもとに、だれもがその警告を無視して来たのです。そして事故は起こった。しかし「王様が裸である」ことが白日の下にさらけ出されてしまった今もなお、大人たちは王様の服のデザインについて話している。このままではダメなんだと言うことに、きちん向き合おうとしていない。
もちろん、大人の一人として、僕にも責任はあります。すでに人生の三分の二を過ぎて、残された時間は決して多くはありません。今年は、今まで以上に、今いわきで起きていることのおかしさや、日本思想史という学問がなぜダメなのかについて、はっきりとものを言ってゆくつもりです。
2011年12月29日 (木)
いよいよ最終クール
早いもので、今年も残すところわずか三日になりました。
クリスマスは過ぎてしまいましたが、こんなすてきなクリスマスソングを見つけました。
歌っているローラ鴫原さんは、プロフィールを見ると、ゲーム音樂のコンポーザー&サウンドクリエイターで、歌も歌うけど、必ずしも専門の歌手というわけではないようです。でも、この曲の彼女の歌唱は本当に素晴らしいです。声ももちろんですが、ニュアンスの付け方がとても気に入りました。やり過ぎてないところがいい。特に後半の”Through the years we all will be together”のところなんか、何度聞いてもぐっと来ます。
この曲の歌詞は、オリジナルのジュディ・ガーランドバージョンとフランクシナトラバージョンがあるようですが、彼女はシナトラバージョンで歌っています。日系人のローラさんは、おそらく3月の震災のことを念頭において、この歌を選んだのだろうと思います。シナトラバージョンの方が前向きで明るい歌詞ですから。
でも、僕の個人的な趣味から言えば、オリジナルバージョンの歌詞の方がよかったなぁ。
オリジナルでは最後のところがこんな歌詞になっています。
その日までまたみんなでがんばって/どんな困難もなんとか乗りこえていきましょう/運命が許すのならば・・・/だからせめて今は このささやかではあるけれど/今日というこの日の このクリスマスを楽しく過ごしましょう(JAZZ歌手若生りえさんの訳詞による)
3月の震災で被災された友人知人、そして今もなお原発事故の影響下にあるいわきの知人や教え子たちへ、この曲を贈りたいと思います。
2011年12月27日 (火)
2011年12月25日 (日)
2011年12月22日 (木)
ipad生活
今年最後の授業で、1回も休講してないのに、学生さんから「もっと聴きたいので補講してください」とリクエストされたカモノハシです。ありがたいことです。
iPad2を買ってからちょうど半年になります。
毎日どこへ行くのにも持ち歩いています。正直自分でもここまで重宝するとは予想していませんでした。iPadが発売された頃、テレビでNY在住の日本人が、「朝から晩まで手放せませんね」みたいなことを言っているのを見て、「ま、ビジネスマンとかはそうかもね」ぐらいの冷めた眼で見ていました。
ところがどっこい、使ってみると、これはまさに中高年こそ持つべきギアであるというのが感想です。なにせ五十過ぎると、固有名詞が出てこない。研究者の名前やら、本のタイトルやら、「えっと、あれ、あの人、ホラ」てな感じ。そういう時、パッと出してすぐ調べられる。ものを覚えていられない。ちょっとわからないことを「あとで帰ってから調べてみよう」と思っても、家に帰る頃には、「あれ、何調べるんだっけ」。ひどい時には、調べようと思ったこと自体すっかり忘れている。なので、調べようと思った時に、すぐその場で調べられるのがいい。要するに、衰え始めた脳のはたらきを補う道具といして非常に重宝なわけ。いわば足の衰えをカバーする杖みたいなもんです。
とにかく、パソコンと違って、いつでもどこでも開ければすぐ使えるところが便利です。とことん道具としての使い勝手にこだわったジョブスという人はやはりエライと思います。
2011年12月17日 (土)
師走なら手を叩こう
今日はお休み。天気もいいし、風もないので、愛車で世田谷のボロ市へ出かけました。
片道7㎞くらい。だいぶ慣れてきたせいか、そんなに遠くは感じません。さすがにミニベロでは、20㎞、30㎞はちょっとキツイと思いますが、この調子なら10㎞までは行けそうです。都心なら六本木、郊外なら吉祥寺あたりかな。
肝心のボロ市の方はというと、普段から古着屋、古本屋、古道具屋を渉猟している僕にとっては、さほど魅力的な掘り出し物はなく、結局何も買わずじまい。まあ、最初から買い物が目的ではなく、自転車で走るための「目的地」が必要だっただけなので、目的は果たしたわけで。
人混みの中を自転車を押して歩くわけにもいかないので、松山ケンイチそっくりなお兄さんがやっているビンテージギターと雑貨の店の前に自転車を駐めさせてもらい、その代わりにあまり日本っぽくない色合いの波佐見焼きのカップを二つ買って帰りました。
2011年12月 8日 (木)
非渋谷系神道概論
早稲田大学オープンカレッジの講座「もうひとつの神道概論」が終了しました。
春学期10講、秋学期10講の計20講に加えて、9月には諏訪大社を見て歩く遠足、10月には「春日の風景」展の参観も企画して、かなり充実した内容でした。
「もうひとつの」と銘打ったのには、いささか訳があります。
かつて早稲田の文化構想学部で開講した「渋谷では聴けない神道概論」を一般向けに増補改訂した内容なのですが、さすがに「渋谷では聴けない」というタイトルにするわけにもいかないので、「あっちのとは違う」という意味を込めて、Anotherと冠したわけです。
「渋谷では聴けない神道概論」以来、基本コンセプトは同じで、ひと言で言えば、神道を「日本固有の伝統宗教」という枠組みから解放すること、これに尽きます。
「八百万の神々」という表現が示すように、神道の最大の魅力はその多様性にあると、僕は考えています。しかし近代以降の神道は、無理矢理に統一された宗教の枠組みに押し込めることによって、神道本来の力を殺してしまっていると思います。そこで、神道がいかに自由で、豊かな世界を持っているかを、実証的に語ろうというのが、「もうひとつの」の目指すところです。






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